先日の研修は市外で行われました。
自主研修なので、自分で気になったところへ申し込みました。
今回は「特別支援教育について」です。
障がいってなに?
最近は「障害」のことを「障がい」と平仮名で書くことが多くなっているそうです。
例えが、障害と聞くと「歩けないなどの身体的機能障害」だったり、「読めない、聞こえないなどの能力障害」だったり、いろいろ浮かぶと思います。
では、「メガネをかけていること」は障害になるのか。
ドキッとしました。
メガネやコンタクトレンズを使っている人って、多いですよね。
なので、当たり前のこととであって「障害」とは感じていませんでした。
でも、目という器官が機能障害を起こしていると言われ、ハッとしました。
そうですよね。
でも、多くの人が障害と思わないのは、「みんながメガネを、コンタクトレンズを使っているから」。
珍しいことじゃないから。
というのも、理由の1つだそうです。
数の原理、赤信号皆で渡れば怖くないじゃないですが、そんな感覚に近いのかもしれません。
マイノリティであること
マイノリティであることが障がいと感じる要素の1つである。
確かにそうだなと思いました。
「普通じゃない」だとか「みんなと違う」と、無意識に思っている自分がいます。
それがいいとか悪いとじゃなくて、もう本当に無意識に思っているので、長年の慣れというのは怖いなと思いました。
今回、この研修で気づけてよかったと思います。
見方を変えていきたいです。
合理的配慮とは
特別支援教育における合理的配慮とは。
自分なりにまとめてみます。
文字を読むことは苦手だけど、聞くことは得意な子がいたとします。
その子への合理的配慮として、「教科書などを読んで聞かせる」という配慮が浮かびます。
でも、他の子は読んでいるんだから、1人だけ読み聞かせるなんて不公平だ!というのは、合理的配慮とはかけ離れた考え方になります。
その子が、学習しやすいように、生活しやすいようにするための配慮なので、みんなと違うからというだけの理由で合理的配慮を却下することはあってはならないことだと思います。
もちろん、子ども1人1人によって性格も状態も違うので、目の前の子に合った配慮を考える必要があると思います。
まだまだ勉強不足なので、うまく説明できませんが、合理的配慮は障がいのある子もない子も、どの子へも必要な配慮かなと感じました。
子ども達が、過ごしやすい保育環境を整えていきたいと思います。
それって優しさ?それとも・・・
障がいのある子がクラスに居ると、周りの子が優しく手助けしてくれる場面が見られます。
例えば、Aくんは車椅子に乗って生活しています。
クラスメイトは優しから、Aくんのお手伝いを進んでしてくれています。
Aくんが自分でできることも、良かれと思ってやってあげることが多いです。
でも、それではAくんの力がつかない。
担任の先生は「Aくんの力になってくれるのは嬉しいけど、それってAくんが自分でできないかな?」と投げかけます。
クラスメイトの子ども達は「Aくんができること」は手伝わない方がAくんのためになるんだなと、少しずつ分かってきたそうです。
事例が分かりにくいかもしれませんが、Aくんができることは自分でやることも合理的配慮の1つかなと思います。
まとめ
特別支援教育を必要とする子は、年々増加しています。
もう一度勉強し直して、保育に活かしていきたいと思います。
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